クラクフ一泊二日の弾丸旅行、続きです。1日目のヴィエリチカ岩塩坑はアリの巣に迷い込んだような錯覚に陥りましたが…神秘的でした。
今朝はクラクフバスターミナルまで歩いて行くことにしていたのですが、足が重いので中央駅までひと駅電車移動しました。
バスは6時40分発オフィシエンチム(アウシュヴィッツ)行き。始発です。旅行会社もバスを出していますが、宿から乗り場が最も近く、最も安かったフリックスバスflix busにしました。バスは前日に予約していましたが席は半分ほどしかうまっていませんでした。朝早かったからかな。


アウシュヴィッツ Auschwitz
ここで、やらかしました。降車した時、すでに目の前に長蛇の列が出来ていたので、とりあえず列に並びました。列の脇にはビルケナウ行きバス停の表示しかなく、荷物置き場も見当たらない。で、しばらく大人しく並んだ後、前にいたツアーの添乗員に聞いたら、個人は並ばずにそのまま入口に行って良いんだよと言われ、それから慌ててロッカーに荷物を置いて中へ。3分程遅れて入場したら、ツアーは既に出発していて、係員に連れられて合流。
あの『働けば自由になる Arbeit macht frei』の入口の門をくぐりましたが、写真を撮る余裕が無かったのが残念。バス停にも案内板があれば、無駄に団体客と一緒に並ぶ事がなかったと思うと、かなり怒りに近い気持ちになりましたが、場所が場所なのでここは心を落ち着かせることにします。
ここで行われていたのが、セレクション。選別に次ぐ選別。アウシュヴィッツにやってきた人々の前でガス室送りを意味する方向を指差す医師の写真についてガイドさんが「人を救うための医師でありながら、自らボランティアとして大量殺人に加担するのが理解できない。」と言っていましたが、それが戦争の恐ろしいところだと思います。
話が若干逸れますが、今ではここイギリスでは自閉症のスペクトラムの一つであるアスペルガー症候群という名を使わなくなりました。その理由を聞いたところ、アスペルガー博士はナチスでこの『選別』をする上でこの症候群を発見したからなのだそうです。最近の研究では、アスペルガー博士はウィーンにあるナチスの児童安楽死の施設、アム・シュピーゲルグルントへ『使えない』と選別した障害児を送る手助けをしたという事が分かっています。このアム・シュピーゲルグルントの跡地は現在ではシュタインホフ記念館となっています。いつか、こちらにも訪れたいと思っています。






コースの中には写真撮影が禁止されている所もありました。が、許可されている場所でもなんとなく不謹慎な感じがして、気づくとあまり撮っていないことに気づきました。
是非とも自分で足を運んで目で見て感じ取ってください。

ビルケナウ Birkenaw




アウシュヴィッツ博物館ツアーの後半がこちらビルケナウ。
異なる宗教観を持っていたり、ゲイだったり、障がいを持っているというだけの理由で、収容所に送られた人々。餓死寸前まで極端に食事を減らされ、ビルケナウの3段ベッドには毛布さえもなく、氷点下でも薄手のパジャマしか与えられなかった彼らは、お互いの体温で暖をとるしか方法はなかった。そんな過酷な状況でな強制的に作業をさせられた上に2週間後にガス室に送られた…なんと残酷な。


ビルケナウのガス室はロシア軍が来た時には既に破壊されていたのだけれど、それは証拠隠滅のためと思いました。
ガイドさんが、ナチスやアウシュヴィッツは1日でこうなったのではない。最初は小さなデマだった。そして排他主義へとどんどん広がっていった、と。今の日本と重なってぞっとしました。
現在は情報量が多く、それもものすごい速さで伝達するというのに、人は何故偏った情報に流されてしまうのでしょう。歴史は繰り返すというけれど、これは決して繰り返してはなりません。
クラクフ旧市街 Krakow Old Town
クラクフに戻ってきました。見学時間に4時間半程を見積もり、できればお昼も食べて帰ろうと十分に時間をとって予約を取ったつもりでした。しかし、時間的にはビルケナウでの見学が終了してアウシュヴィッツのバス停に戻った時には、出発迄に20分くらいしか余裕がなく、博物館のカフェでの昼食は諦めました。たまたまサンドイッチを持っていたので、バスを待つ間に食べました。そういうわけで時間を有効に使うにはちょうど良かったです。時期的なものもありますが、バスは混んではいませんでした。アウシュビッツに近いOświęcim(オシフィエンチム)駅周辺までは普通の路線バスで買い物から戻る人も乗り降りしていたので予約をしなくても全然大丈夫そうです。
バスを降りたら、とりあえず旧市街地へ足を運んでみました。




St Peter’s Church





















